究極に病んでる。
今この家で自殺をしたら、いつ頃気づいてもらえるだろうとか、
明日の出勤の時に線路に飛び込めば誰に連絡がつくだろうとか、
死に対する考えがぽんぽんぽん出てくるけど、
どれもこれも考えが冷静で、
自殺をした場合、近隣が腐敗の匂いに気づいてから発見される場合があるから名前も顔も知らない隣の人が発見されるのかな、とか
1年以上続いてるバイト先の店長がおかしいって思ってくれてマンションまで見に来てくれるかな、とか
線路に飛び込んだ場合、出勤ラッシュの時間やから目撃者はたくさんいるだろうな、とか
飛び込みに成功した場合、緊急連絡先は母親にしてるから1番に連絡がいくのかな、とか
ほんまに具体的な考えが山ほど頭の中を巡る。
死んだら誰が悲しんで、誰が後悔するかなとか、
死んでから私という存在のデカさに気づいてくれるのかなって思ったら寂しいね。
病んでると矛盾がすごい。
ひとに会いたくないのに、ひとに肯定されたくて、人が嫌いなのに、人に愛されたい。
どんなけわがままなん、笑
当たり前にすがりつきな自分にも嫌気がさして、嫌いになる。
もっと今いる人を大切にしなよって思う反面、蹴散らして困らそうとしてる自分がいる。
理屈ではわかってるんよ、でもそう思えない。
病むなあ。